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日々の繰り言を綴る日記

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2011年3月14日(月)

いまだ両親の安否はつかめず、朝から胃液の味が口の中に広がっていた。
幸いだったのは、ダンナの会社が自宅待機の対応となり、
一緒にいてくれることになったこと。
娘たちを学校に送り出し、ふたたびパソコンとテレビで安否情報を探す。

「少し寝れば」

ダンナに言われた。ちゃんと眠ってんのかと。
いちおうベッドに入ってはいるし、眠ってもいるけど、
とにかくずっと夢を見ているような状態で、
起きても目眩と胃痛、みたいな状態になっていた。

安否が心配というのに加えて
直接被害に遭遇している人にくらべたら
贅沢な環境で布団に入れているというのに、
という自責の念も含めて、胃も痛い。

「いいから、オレが調べておくから、とりあえず少し寝ろ」

言われて、おとなしくベッドに入る、朝の9時ごろ。
でも、やっぱり考えてしまうわけです。
航空写真で、町は壊滅してるも、実家のある地区は家の倒壊流失はなく、
少なくともその場で建ち続けていることはわかっている。
とすれば、地震・津波のとき家にいたのなら、津波警報を聞いて
高台に逃げてくれていれば、助かっている筈。

だけど、そのときたまたま町の方に買い物とか行ってたら?
地震被害で津波の防災放送が鳴らなかったら?
もし、姪の学校に迎えに行ってて津波に巻き込まれていたら?
姪が下校途中で大人が傍にいてあげられていなかったら?
もう、ありとあらゆる想像妄想が渦巻いて、たまらんかった。

それでもうとうとして、少し眠ったところだった。

「おい!!!!連絡きたぞ!!生きてたぞ!!!」
「え?」
「電話がきた!おとうさんもおかあさんも無事!」

大槌の本家の従兄が遠野まで買い出しに出てきて
携帯電話(そこまで来ると電波が通じる)か衛星電話かで
埼玉にいる叔母さんに連絡をくれて、
そこから神奈川にいる弟に連絡が行き、
私のところまで連絡が入ったというわけだった。

父も母も無事。

もうね、もうね。
声をあげて泣きましたよ。
あんな子どもみたいに泣いたのは久しぶりです、もーーー。

住んでいる地域は高齢者の多いところ。
しかも、父は自治会長なんかやってるから、
助かっていれば避難所の運営の手伝いをやっているにちがいない、
そう思ってました。
思ってましたら、やっぱり案の定、想像通り、
避難所の運営側でがんばってるらしい。
もー、父らしいし、母らしい。
被災しなかった親戚の家に身を寄せることもできるのに、
避難所で仕事してると聞いて、なんだか安心して笑っちゃいました。
それでこそ、父だw

朝はダンナの作ってくれた素うどんする喉を通らなかったのに、
単純な脳細胞で生成されてる私は、うどん完食しましたですよ。

ここまでが、両親の安否が確認できるまでのお話。

姪は翌日の電話で、無事に姉夫婦と一緒にいることがわかったし、
大槌に住む父方の親戚一同、誰一人犠牲になることなく
奇跡的に助かっていたことがわかりました。
ただ、本家は津波の被害後、火災に巻き込まれ、跡形もない状態のようです。
どなたかが撮影した町の写真で確認しました。
伯母さんの家も親戚の家もいくつか浸水、火災などに巻き込まれたようです。
ただ、被災しなかった家もあり親戚で助け合って避難しているみたいです。

母方の親戚は、陸前高田市や気仙沼、仙台などにいますが、
こちらも津波で家や漁船や店(海鮮料理)が流失するも
誰一人犠牲にならず、生き延びてくれたそうです。
たいへんありがたく、ありがたく、ただただ感謝するしかありません。
母方の親戚とは子どもの頃に盆や正月に遊んだきりで、
まったく連絡先を私は承知していなかったのですが、
(この時点では母に自由に連絡をとることもままならず)
小さな糸から仙台の従弟に連絡をとることができ、
そこから情報をもらったのでした。
それから姉を通じて、母にそのことを伝えました。

津波の日の状況を詳しくきけたのは、つい先日のことです。
携帯電話の電波が回復しても長電話をすることもはばかられたし、
そんなに根ほり葉ほり訊いていいものかという躊躇もあったし。

地震のあったとき、父も母も自宅にいたそうです。
あれ、大きいなと思って家具を押さえてると、棚の上の植木が落ちて、
もうっ!、なんて思ってたらしい。
つまり、地震は確かに大きかったけれど、それだけでは大きな被害は無かったということ。
釜石で仕事をしている姉夫婦に代わり、母はそれから歩いて小学校に姪を迎えに行ったらしい。
近所の人と、大津波らしいね、などと話しながら(防災放送なのかテレビの情報かは不明)
途中、同級生の子の母と出会い、小走りで学校に行くと、
子どもたちは高台に避難しました、とのこと。
高台とは、裏山にある中央公民館。
私も子どもの頃なんども登ったけれど、結構な坂道なんだこれが。
うわ、これを登るのか、と母はうんざりしたそうだが(笑)、それを登って、
公民館の駐車場にいた小学生の集団から、先生に挨拶して姪をピックアップ。
さて、帰るか、と坂道を下っていたら、下から町民が血相変えて登ってきたそうだ。
津波がきたーーって。
見れば、坂道の下、警察の派出所の向こうにたちのぼる土埃が見え、
黒い水が押し寄せてる状態だったと。
だめだ、引き返すぞって、姪の手を握って、必死で再び坂道を登って助かったのらしい。
そこから二日間、公民館に避難してて、その間、目の前まで山火事が迫っていたらしく、
かなり壮絶だったようだけど、全国から来てくれた消防や自衛隊のおかげで
火は公民館に届くことなく鎮火。
私もテレビで、関西方面の消防車が多数大槌の道に待機してくれていたのを見て
ありがたくて、頼もしくて涙出ました。
母は従兄と一緒にいったん被災しなかった親戚の家に行き、姪をあずけて、
自分は父のいる避難所に行ったとのこと。

父は、地震後母を送り出してから、避難してくる人のために集会所に行って準備をしつつ、
裏山から川を見たら、土手の向こうを流された家が川をさかのぼってくるのが見えたそう。
そうこうしているうちに、水かさが増して土手を超えて水が住宅地に入ってきた。
こりゃ、本物がきたな、と思ったらしい。
父もチリ地震津波などを経験しているわけだが、そのときだって、ここまで水は入らなかったらしいから。
この地域は、結局1階は天井付近まで浸水の大規模半壊になった。

で、裏山の高台になっている個人宅にいったん地域の人たちと一緒に避難。
そのまま父は、裏山を登り(かなり急な山だと思う。崖とかあるし)、
山の頂上付近にある防災用の道を使って、母たちのいる中央公民館まで行って、
母と姪の無事を確認すると、また山を降りて、地域の人がいる集会所に戻ったらしい。
おそるべし、だ。まったく。
で、一晩は集会所の2階で過ごし、翌朝、川の上流、津波の届かなかった場所にある
町の施設に避難し、今に至る、というわけでした。

家も庭も泥だらけ、という状態になったけれど、
連日、がんばって掃除し、ダメになった家財を捨て、
いまはだいぶ片付いてきているみたい。

姉夫婦はダンナさんの親戚の家で避難生活しています。
かわいいわんこを3匹かっていましたが、
1匹、果敢に生き延びてくれました。
2匹のわんこは一緒に天国に行ってしまいました。
姉はメールや電話ではいつでも元気にしてはいますが、
そうとう悲しんていることと思います。

遠い場所にいて、うかつに帰ることもできず、
凹んでいる私を逆に励ます勢いの父母。

もうな、こうなったからには腹をくくってやり直すしかないんだから。
ああ、来なくていい、来なくていい。
だれ、寝っとこもないし、捨てた家財道具が積まれてて
車止めっとこもないから。
いい、そっちでおめさんはがんばれ。
夏休みには帰れるようにしとっから。

役立たずの娘であり妹であり、すまん。まじで。
連日夢を見るよ。帰る夢。

毎日、自分にできることは何か考えてます。
これからもずっと考えます。

それから、ツィッターで、私を励ましてくれたお友だちのみなさん。
心配をおかけする言葉ばかりを投下する私を励ましてくれ、
一緒に悲しんでくれ、喜んでくれ、どんなに心強かったかしれません。
感謝しています。
本当にありがとうございました。
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