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日々の繰り言を綴る日記

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友だちのブログや姉のブログ(←被災地まっただ中の様子なので壮絶)で、震災当日の様子を備忘録として綴っているのを読んで、たいした記録ではないが、自分も備忘録としてやっぱり記録しておくことにしました。

2011年3月11日(金)午後。
いつもどおり会社で仕事中。
お隣のチームの人にこっちの仕事を手伝ってもらうにあたって、パソコンの設定見てあげなくちゃいけなくて、お隣の島の席でメールの設定いじくってました。

と。地震。
お、地震だ。地震になっても、いつも慌てず様子を見る癖があるので、まわりと見渡しながら、ま、大丈夫だろ、と思ってました。
でも、長い。そして大きい。長い。
西日本のお客様の電話を取ってた人は、「すみません!地震なので、掛け直します!」なとど言って電話を切ってみたり。
壁際のキャビネが倒れそう、とか言いながら押さえる女子社員(←倒れたら危ないっつー)
ちょっと、机の下に隠れちゃう?とか、支給されてるヘルメットかぶる社員もちらほら。
とたんに大きな悲鳴。
フロアの端の天井板が崩れ落ちました。
まじか。
自分の席に戻ろうと立ち上がって歩くけれど、あまりに揺れるので戻りきれず、途中の上司の机に頭を入れて避難。

ようやく揺れがおさまって、自分の席に戻って、すごかったねーなどと興奮気味に語ってると、隣の席の子がパソコンで地震情報を開いてた。
げ。でかいね。東北の方が大きかったみたいよ。と。
でも、この時点では、まだ、実家のことを思いやるより、自分の娘たちの方を心配してた。

天井板が落ちた個所があるからか、いったん建物から退去するように、との命令がでて、このまま帰っちゃうか、などと冗談を言いながら、ロッカーに戻って荷物やダウンジャケットを持って(帰り支度だ)みんなで外にでた。
会社の敷地の隣には大きめの公園広場があるから、とりあえず社員総勢でそこに行く。

この時点で携帯電話は全く使えずダンナに連絡できず。ソフトバンクめ。
ドコモの子は携帯電話で会話もできてたし、テレビも見れてた。
どうやらフジテレビのカメラがお台場で煙が上がってる映像を映しているらしく、これはちょっと大事もになるかも、と思う。

で、また揺れ。
でかいでかいよ。近くの鉄塔がゆらゆら揺れてる。
あれた倒れたら、やばいってーーー。などと言う。

でも、まだ暢気。
電車止まったらどうしよーー。などと、おしゃべりをする余裕ある。
なにしろその日、めずらしく細くて高いヒールのブーツを履いており、これで徒歩で帰るのは無理。
会社の子に「そこのホームセンターでスニーカー買ってかえりなよ」とまだ冗談の域で会話。
会社の近所に住んでる人で、保育園に通う子がいる人が子どもが心配なので帰ります、と徒歩で帰宅。
会社からもお子さんいる人などで帰宅希望の人は、就業時間帯ですが帰宅してOKですということになる。

えー、私も帰りたい。
建物の危険性についてとりあえず大丈夫ってことになり、いったんフロアに戻り、パソコンのログアウト、書類をしまう、など本格的に帰り支度をする。
このとき、会社の固定電話からダンナのiPhoneに電話するも繋がらず。
子どもたちは学校にいるはず、とまだ思ってる。

電車止まってるみたいなんだけど、どうする?と、訊かれるも、会社に留まっていたら家に帰れないので、とりあえず駅に行きます、と一人で駅に向かう。
で、駅は改札を閉鎖しており、入れない状態。
げーーー。
タクシー乗り場は素晴らしいほどの列ができている。
さて、どうするべ。

そこに同じ方面に帰る会社の人の集団に出会い、まずはタクシーに並ぼうということに。
でもしばらく待っていても、まったくタクシーが来ず。
みんなお子さんがいるお母さんたちで、早く帰りたいよね、と言い合って、一歩でも家に近づこうか、ということで国道沿いの道を歩き出した。
歩きながら、通り過ぎるタクシーを見るけれど、みんな客を乗せている。
こりゃー何時間かかるかわからんし、ヒールのブーツだけど、歩かなくちゃダメかもぉと悲しくなってきたころ、一台の空車のタクシー発見。正確には「回送」となっていたのだけど、信号待ちになったところに手を挙げて、無理やり窓を開けてもらう。もう必死。

「乗せてもらえませんか?」
「あー……近くですか?都内方面なら……」
「○○駅(都内の最寄り駅)まで!」
「ああ、それなら」

代々木方面から来てるタクシーだったみたいで、そっちに帰りたかったのでしょう。
希望の行き先が途中の駅だったため、運よく乗せてもらう。
途中下車する会社の人と合わせて3人で相乗り。
よかったねー。支払いどうする?現金ある?などと暢気な会話をしながら、タクシーは家方面に向かってすすみます。まじで、あのときはタクシーさまさまだった。

思うに、このとき、実家の町は大きな津波が何度も押し寄せ、家を学校を駅を役場を風景そのものを破壊していたんだなと。なにも知らず、ただ、娘たちのいる場所に行かなくちゃ、とこのときは思ってた。

ときおり渋滞しながらも、わりとすいすいとタクシーは進んでくれる。
途中、ダンナのメールを受信。
ダンナが会社の固定電話から家の固定電話に地震の後に電話したら、娘2号(小4)が電話に出たと。

はぁぁ!?学校にいる時間だったんじゃないの!?

心から驚いた。
絶対、学校で保護してくれてると思ってたから。
耐震基準を満たした新築の学校にいると思ってたから。

家にひとりでいるなんて。
電話の向こうで、パパの声を聞いたら、ちょっと泣いてしまったらしい。
まじかーーー!!

超焦った。
後からわかったことだけど、この日、学校は高学年の子の委員会活動のため、4年生は6時間目の授業が無く、いつもより早く帰宅だったんだと。
いつも自転車通勤のダンナは、その日に限って飲み会の予定があったので、電車で行ってた。だから、歩いて帰ってる途中とのことだった。

ようやく到着した最寄りの駅でタクシーを降りて、止めてあった自転車に乗り換えて、家のマンションまで暴走しました。でも、町はわりと平穏で、暴走しながら、これならダイジョブだろうと思ってもいた。

で、マンションについて、エントランスから入るのはもどかしいので、庭(マンション1階で、自分ちの駐車場が小さな庭の前にあって、そこから入れる)に鍵を開けて入ると、逃走用にリビングの窓を少し開けてあって、がらりとそれを開けると、娘1号(中1)と娘2号(小4)と同じマンションの友だち(小4)が、一斉にこっちを見た。

「ママ!帰ってこれたの!?」

という娘1号の言葉が、第一声でした。

「あーーーーーーー、タクシーで帰ってぎだーー」(息切れしてる)
「電車止まってる、ってニュースで言ってたから、帰れないかと思ったよ」(←わりと冷静)
「みんな、ケガない?」
「うん、ない。大丈夫」
「よがっだーーーーーーー。……じゃあ、自転車置き場に置いて来るわ」

脱力しながら自転車に戻ったところで、同じマンションのママにあう。
タンスの上に置いてたものが落っこちたのよぉ、などと聞いて、初めて家の中を確認せねば、と思って、急いで自転車置いて、家に入る。

とりあえずダイジョブそう。と思ったが、自分の部屋のタンスの上に紙袋に入れて置いてた古いVHSのテープが散乱してた。まあ、いいや。
ガラスのコップがひとつだけ壊れたらしいが、娘1号がすでに片づけしてくれていた。
それから、娘たちの部屋の本棚から、本が落ちて散乱。
それを片づけるよりも先に、娘1号は、ガンダムのプラモデルの壊れた個所を修理しておった。おまえというやつは。

娘2号も、姉の帰宅と友だち来訪で、だいぶ落ち着いたらしく、私が帰ったときには、普通の状態。

そうこうしているウチに、ダンナ帰宅。
すぐ、実家に連絡とれ。あっちは大変みたいだぞ、と言う。
津波があったらしいと。

はい。この時点でも、なお、私は暢気でした。
地震、津波。
小さなころから、三陸大津波の3月3日には、裏山に走って逃げる訓練を受けており、地震があれば津波に警戒するという地域で育ってきましたよ。
でも、津波警報が出ても、50センチとか、せいぜい1メートルとかばかりだったから、たとえ津波があったしても、海沿いの地域が少し浸水する程度だろうと思ってました。
実家は海から数キロ離れてましたし、川が近くにありますが、堤防は決壊しないだろうと思ってました。

ダンナはこの時点で津波に飲まれる映像を見ていたらしいです。
でも、あまりにも壮絶な映像だったので、私にそれを言えず、とにかく連絡を取れとだけ言いました。
電話、携帯電話、携帯電話のメール、パソコンのメール。
ありとあらゆる手段を使えと。

言われるままに試してみますが、すべて繋がらず。
パソコンメールは送ったけれど、音沙汰なし。

とりあえず、コンビニに行って、弁当・カップラーメン、レトルト、水、など当面必要な食糧だけを買って、夕食にして、あとはテレビのニュースにくぎ付けでした。

そして私もだんだんと事の重大さがわかってくるのです。

それは、また次の備忘録で。

 

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備忘録、確かに書いておくといいかも、と思いながら拝読。

そういえば、あの日、咲蘭ちゃんにメール送ったな、と思って携帯の送信メールフォルダを開いたら、なんの偶然か、一番古いメールが3月10日のものでした。
翌日こんな大惨事が起こるなどまったく知らず、能天気に楽しいメールばかり。
そして、あの地震の後もまだ事の重大さがわかってなくて「電車止まってて演奏会に行けない」とか言ってるし。
咲蘭ちゃんにも「岩手が震度7らしいけど、ご実家は大丈夫?」と書いてはいるんだけど、まさかあんなことになっているとはまったく思ってないわけで。
これまでにもなんどか岩手の方でやや大きめの地震もあったから、今回もそんな感じかな、と思ってたのかもしれません。

私も書き留めておこうと思います。
多分、忘れることはないだろうけれど、その時の感情を残しておくのは意味のあることだろうし。

咲蘭ちゃんにとっても、客観的に書くことが気持ちの整理や癒しになればいいなと思います。

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